中国コレクション
1. 中国の中央アジアの中国探検隊と出土品
清朝(1644-1911)の時代、中国の西域へ放逐された役人達は、その地域(現在の新疆ウイグル自治区や甘粛省)の言語、民族、地形に関する記録を継続的に行いました。これにより彼の地で中国全域で作成されたような地誌や、『漢書』以来多くの王朝史に載せられる「西域」章を作成する伝統が保たれたのです。
伊犁将軍であった松筠(在職 1802-9)は新疆地方の地誌編纂に、流刑にされた役人を利用しました。当時の卓越した役人には、汪廷楷 、祁韻士 (1751-1815: 流刑 1805-9)、そして徐松 (1781-1848: 流刑 1813)がいました。祁韻士もまた、『西陲要略』を著しています。徐松は1815年-16年に、この編纂プロジェクトのための情報収集を目的とした探検を行い、敦煌の仏教石窟を訪れ、石窟創設に関する碑文を記録しました。彼はまた、他の古代遺跡についても書き記しています。徐松は著作を幾つか出版しましたが、その中には『漢書西域伝注』や『西域水道記』があります(Waley-Cohen, 1991)。
彼の地に放逐された中国の知識人達にとって詩文作成はもう一つの伝統であり、徐松は新疆に関する詩集を著しています。級昀 (1724-1805: 1768年流刑)のウルムチの詩や洪亮吉(1746-1809: 1799年流刑)の日記と詩には、この地域に関する大変有用な第一次情報が含まれます。この伝統に従って、Xu Naigu は敦煌での1831 - 4年の任期中に、「千仏洞への叙事詩」を執筆しました。
蔣孝琬(または蔣師爺, d.1922)は湖南出身でしたが、1883年、新疆地方に流刑ではなく配属されました。彼は1906-8年のオーレルスタインの第2次探検(イギリスコレクション参照)の時、通訳、事務、案内役を務めました。蔣孝琬は以前に政府役人の個人秘書として働いたことがあったので、スタインが必要としたような経験を有していたのです。1906年5月、彼はスタインに会い、二人はすぐに意気投合しました。蔣孝琬はこの任務の間にスタインに中国語を教えたり、敦煌の道士 王圓籙を説得して彼自身とスタインに蔵経洞への出入りを許可するように手助けをしました。
1.1 敦煌
王圓籙は山西省出身の雲遊道士で、1890年代に敦煌の千仏洞を訪れ、そこに定住しました。彼はその窟の非公式な管理者となり、募金活動をして仏像修復のための資金を集めていました。1900年、第16窟から砂を掘り出す作業をしている時、彼の部下が偶然に隠されていた扉を発見しました。扉を開けると、小さな窟に続いており、そこには4世紀から11世紀の古代の文書や絵画で埋め尽くされていたのです。問題の窟は現在は第17窟と名づけられており、また蔵経洞としても知られています(ただし元来は9世紀に亡くなった彼の地の僧侶を追悼するために開窟されたのです)。
中国では、この蔵経洞に収められていた文物の重要性は、発見後すぐには理解を得ることが出来ませんでした。王圓籙は、地方行政長官である嚴澤に古文書発見の報告をするため、証拠品として写本2点を携えて行政所在地に赴きました。しかし行政長官は特に学識があるわけでもなく、2点の黄色い写本を無用の古紙とみなしたのです。3年後、新たに敦煌の地方行政長官となった汪宗翰は、金石学に非常に関心を持っていました。王圓籙は、彼なら蔵経洞の文物保存にもっと興味を示すのではないかと期待しましたが、この新行政長官は、蔵経洞を訪れた後、ただ数点の写本を持って帰り、王圓籙に蔵経洞を警備するように言うだけで、何の取り決めもしませんでした。しかしながら、王圓籙はあきらめませんでした。彼は800里の道のりをかけ肅州(現在の酒泉)にまで写本を入れた木箱を二つ持って行きました。その地の行政長官は学者でしたが、彼も王圓籙が見せた写本が価値のある物とはみなさず、蔵経洞の保存に関わることはありませんでした。数年後、省の教育委員である葉昌熾が蔵経洞のことを耳にし、行政長官の汪宗翰が持ち帰った写本を彼の著書 『語石』(On stone inscriptions)に利用しました。1904年、省政府は敦煌に写本を保護するため何らかの対策を講じるように命じましたが、今回もまた省政府はイニシアティブを取らずにむしろ敦煌に責務を委任したのです。
スタインとぺリオがそれぞれ1907年と1908年に敦煌を訪れた時(イギリスとフランスコレクションを参照) 、彼らは王圓籙を説得して、わずかな見返りと引き換えに大量の写本や絵画を入手しました。王圓籙はそれらを正確に記録しています。彼らの遠征によって素晴らしいコレクションが誕生したと同時に、敦煌文書がヨーロッパへと分散しました。ぺリオが1909年に北京を訪れた際に、蔵経洞で手に入れた文書のいくつかを中国の学者たちに見せると、学界にセンセーションを巻き起こしました。董康、 羅振玉、王国維、 王仁俊、蔣黼、 葉恭綽らを含む最初期の敦煌学者達は、蔵経洞に関する新情報を集めようと、こぞってBabao Alleyにあるぺリオの邸宅を訪問したのです。ぺリオの手助けにより、彼らは実見した敦煌写本のノートを作り、写真撮影し、コピーを作成したのでした。
一方で、著名な学者である羅振玉は蔵経洞に8,000点以上の写本が残されていることを耳にしました。彼は、早急にそれらの写本を北京に移管しなければ、それらは完全に雲夢散消してしまうかもしれない、と悟りました。羅振玉とその他の学者たちの努力が教育省に通じ、蔵経洞に残されている写本を保護する政府命令が出されました。傅寶書が残っている写本を敦煌から北京へと移管させるための人員として任命されました。彼は敦煌にチベット語写本を置いておきました。写本が教育省に届いた後、そこからいくつかの写本が李盛鐸により盗まれたようです(Rong Xinjiang 栄新江, 2002)。この出来事のすぐ後、1911年に起こった革命によって清王朝は倒され、政府はこの革命のことで精一杯となり、敦煌写本については手が回らなくなってしまいました。紆余曲折を経て、ついに敦煌写本は北京図書館(the Metropolitan Library in Beijing)に移されました。そこには8,697点の敦煌写本があり、これらは現在でも中国国家図書館(the National Library of China)の敦煌写本部門の大部分を占めています。その後、政府の基金、一般の方からの寄付、図書館による写本の購入によって、現在の中国国家図書館の写本コレクションは約16,000点にものぼります。中国国家図書館は中国で最も多い敦煌コレクションを誇っています。(下記参照)
石窟の芸術、絵画、塑像に対する中国人の関心と学問は、20世紀を通じて高まりました。 1940年に中国人画家吳作人は、張大千 (1899-1983)の後を追って敦煌莫高窟を訪れ、1941年から43年には榆林窟のような周辺の石窟遺跡を訪れました。張大千は敦煌やトルファンから出土した絵画や写本のコレクションを手に入れました。現在それらのコレクションは日本の天理図書館に保管されています。(日本コレクションを参照) しかしながら、これらのいくつかは偽物であると考えられています(敦煌偽写本(Dunhuang Manuscript Forgeries)、Whitfield (ed.),参照)。チベット僧の助けを借りて、張大千は4世紀から10世紀の壁画276点を模写しました。現在、この模写のうち183点が四川省博物館に保管されています。張大千の敦煌壁画の模写(うち何点かが1943年に蘭州で展示されました。)によって莫高窟が知られるようになり、その結果1944年に国立敦煌芸術研究所が設立されました。住宅区画の建築中に、清朝の塑像の中から写本が発見されました。
1946年、美術史家である段文傑が設立会議のために国立敦煌芸術研究所を訪れました。彼はこの研究所の所長となって石窟に関する広範囲の研究を行い、50年以上そこに滞在することになったのです。1948年に800点もの敦煌出土の品が上海で展示されました。1961年、莫高窟は全国重点文物として中国政府より認定を受け、さらに1987年にはユネスコの世界遺産に登録されました。同年、この研究施設は敦煌研究院と改名されました。
1.2 「西域」における中国考古学
1926-35年、スヴェン・ヘディン(Sven Hedin, 1865-1952)と徐旭生率いる中国-スウェーデン探険隊が、ドイツ政府やルフトハンザ航空の援助を受け、ゴビ砂漠やモンゴルを探検しました。初期の中国人考古学者である黃文弼 (1893-1966)はこの探検隊の一員でした。探検は、当時としては最大規模のもので、特にロプノール地域を中心に実施されました。黃文弼は漢王朝の防壁やタリム盆地、トルファン盆地周辺のオアシスを発掘しました。スウェーデン人考古学者である Folke Bergman (1902-1946) は小河の墓地を発見し、また南ロプノールの周辺、さらに西の且末、そしてウルムチやトルファン周辺も発掘しました。これらの発掘によって、漢代以前や漢代から唐代にかけての遺物の発見をもたらしました。(その他のコレクションを参照)
黃文弼は中国科学アカデミーの考古学研究所のメンバーの一人で、1950年代から西域に考古学の調査団を率いて、数々の重要な遺物を発掘したり、新しい遺跡を発見しました。これらの成果も含めて、西域における中国での考古学的成果が、1983年に新疆社会科学アカデミーの考古学研究所によって『 新疆考古三十年』として編集されました。1980年以来、新疆での発掘が進み、 様々な時代の多数の遺物が発見されました。
過去10年の間には、日中、中仏による考古学の共同研究が実施されました。2005年にはトルファン地域の考古学的遺物の発掘と研究を管理、支援するために吐魯番学研究院が設立されました。主な探検や探検地域に関する年代順のリストが現在準備中で、間もなくオンラインで公開されます。
これらの考古学的探検や後の寄贈や購入の結果、中国各地の施設には、写本、遺物、織物など、非常に豊富なコレクションがあります。敦煌やトルファンの写本を保有する主要な機関と博物館のリストを以下にあげています。このリストは、間もなく敦煌以外の遺跡の資料も含めてより詳細なものとして改訂される予定です。
コレクション: 内容とアクセス
2.1 中国の敦煌、トルファン、その他中央アジアの写本、文書コレクション
- 中国国家図書館
- 甘粛コレクション
- 天津市博物館
- 天津図書館
- 北京大学
- 上海図書館 (敦煌、トルファンコレクション)
- 上海博物館(敦煌、トルファンコレクション)
- 浙江コレクション
- 南京図書館
- 湖北省博物館
- 中国国家博物館
- 重慶市博物館
- 天津市文物公司
- 旅順博物館(大連)(敦煌、トルファンコレクション)
- その他のコレクション
2.1.1 中国国家図書館の敦煌コレクション
1910年、傅寶書が敦煌から北京へ8,697点の写本を持ち帰り、現在それらは中国国家図書館の敦煌資料の大部分を占めています。その後、政府の資金や市民からの寄付、そして写本の購入によって、現在中国国家図書館に保持されている写本は約16,000点に上っています。中国国家図書館が保管する敦煌資料のコレクションは、中国で最大級の規模を誇ります。このコレクションは4つのセクションに分けられています:
"『敦煌劫餘錄』 (最初の敦煌写本目録) 1922年、陳垣が国立北平図書館の館長をしていた時、8,697点の敦煌写本の原本が分類され、最初の目録『敦煌劫餘錄』が出版されました。この目録には、写本番号、最初と最後2行分の判読可能な録文、紙数、行数、品次、陳垣の附記等が記載されています。これは世界で最初の敦煌写本の目録です。1931年3月、『中央研究院歴史語言研究所專刊』第4号にて出版されました。陳垣はこの序文で「敦煌学」という語を作り出しました。 "
"『敦煌石室寫經詳目續編』
最初の敦煌の蔵経洞の文書の記録と整理に引き続き、1,192点の比較的完全な写本が選別され、それらに固有の番号がつけられ、『敦煌石室寫經詳目續編』と題された目録続編にまとめられ、1935年に完成しました。
"
"断片: 上記の目録に含まれていない断片には、およそ20-30cmの小さい断片が多くあります。これらは写本に混ざって、数点のパネルとして保存されています。これらの多くは紙が脆く崩れやすいので、断片をはがすことは困難で、時間もかかりました。保存修理後、現在では4,000点が中国国家図書館の敦煌写本の目録に記載されています。 "
"新たな収集物
ここ数十年間に渡って、新たに1,600の品目がコレクションに追加され、’新しい’写本と呼ばれています。
"
2.1.1.2 中国国家図書館のコレクションへのアクセス
中国国家図書館所蔵敦煌コレクションには、以下の方法で参照することができます:
- 黄永武 (主編). 『敦煌宝蔵』, 新文豊出版社, 1986. 全141巻のうち56–111巻は 『敦煌劫餘錄』所載部分にあたる.
- 敦煌コレクションのマイクロフィルムは中国国家図書館の中国マイクロフィルムセンターにて参照可能。『敦煌劫餘錄』部分は全て含まれている。
- 任継愈 (主編), 『中国国家図書館蔵敦煌遺書』, 江蘇古籍出版社, 1999–. (2006年現在第7巻までが既出版)
- 陳垣 (主編), 『敦煌劫餘錄』, 中央研究歴史語言研究所, 1931. 北京図書館善本組 (編). 『敦煌劫餘錄続編』, 内部出版, 1981.
- 陳晶、王欣 (編). 『北京図書館蔵敦煌遺書索引』, 内部出版, 1988.
- 申國美 (編), 『国家図書館敦煌遺書研究論著目録索引』, 北京図書館出版社, ,北京図書館出版社,2001.
- 中田篤郎 (編), 『北京図書館蔵図書館遺書総目録』, 1983, (この目録には敦煌文書に現れる人名についての詳細な研究が載る).
上記資料では研究目的において不十分な場合は、事前予約が必要ですが、貴重書部門の閲覧室にて原文書を閲覧することも可能です。図書館から資料閲覧の返答があった場合、閲覧するためには所属機関の紹介状と中国国家図書館の利用証が必要です。
中国国家図書館 貴重書・特別コレクション閲覧室の開館時間:
月曜日-金曜日, 09:00–17:00
電話: +86 10 8854 5344/5167
2.1.1.3 敦煌、トルファン研究センター
この敦煌、トルファン学研究及び資料センターは、中国国家図書館と敦煌トルファン学会(the Dunhuang and Turfan Association)の協力のもとに設立された専門の機関です。1983年の冬にこのセンターの設立が提案され、1988年の8月に正式に設立され、同時に、一般の閲覧室も正式に開設されました。このセンターは設立以来、敦煌とトルファンの研究に関する資料を収集、整理、保存しています。目録や学術誌の編集と出版、さらにこの分野の外国人研究者と中国人研究者の両者に対して研究施設を提供しています。このセンターは学術的な交流を行う施設として研究者に利用されています。敦煌、トルファン閲覧室にはこれまでの所、隋や唐の時代に関する歴史、地理、宗教、そして西域の文化に関する3,000点の資料が保管されています。これらのコレクションには、マイクロフィルム、写真、本、定期刊行物、会議の論文集、およびビデオフィルムも含まれています。
中国語、中央アジアの言語、西洋の言語や日本語などからなる10のセクションに分類された様々な言語の資料があります。コレクションには、歴史、写本目録、考古学、言語と文字、芸術、中央アジアの言語と文字、宗教、総合書、技術的な資料、そして工具書があります。
2.1.2 甘粛省
甘粛省では、蔵経洞や他の石窟、仏塔から発掘または発見された敦煌写本を別にすると、多くの写本が地方の役人、知識人、郷紳から手に入れたものです。北朝の写本が最も多く、その多くは仏典です。以下のリストが甘粛省の施設とその収集品です。
- 敦煌研究院、383 点の写本
- 甘粛省博物館、138点の写本
- 敦煌市博物館、81点の写本
- 甘粛省図書館、32点の写本
- 西北師範大学、19点の写本
- 酒泉市博物館、18点の写本
- 定西縣博物館、10点の写本
- 永登縣博物館、8点の写本
- 高臺縣博物館、3点の写本
- 甘肅中醫学院、3点の写本
- 張掖市博物館、1点の写本
甘粛省コレクションのおよそ696点の情報が一般に閲覧可能となりました。すべての甘粛省コレクションは、敦煌写本の委員会、甘粛人民出版社、甘粛省文物局が共同編集を行い、『甘粛蔵敦煌文献』(全6巻)として1999年に甘粛人民出版社から出版されました。
2.1.3 天津市博物館
天津市博物館は350点の写本を保有しており、収集品の何点かは長年かけて購入、収集したものですが、それ以外のものは1979年に有名な収集家である周叔弢によって寄贈されたものです。これらの多くは仏典や論語の注釈です。写本は長い年月を経ているにも関わらず、保存状態は良好です。貴重な書法を有する写本は少なくとも50点あり、そのコレクションの中には装飾された50の収集家の印が押されている文書があります。
天津市博物館に所蔵されている敦煌コレクションが、上海古籍出版社と天津市芸術博物館の共同編集によって、天津市芸術博物館所蔵敦煌文献(天津市藝術博物館藏敦煌文獻) (1-7巻)として上海古籍出版社(1996-1998)から出版されました。
2.1.4 天津図書館
天津図書館所蔵の写本は主として断片から成り、それらは6冊のアルバムに貼られ、177点の番号がつけられています。これらは: 『唐人寫經殘卷』(3冊); 『唐人寫經册』(殘頁)(1冊); 『唐人寫經真本』(1冊); 『敦煌石室寫經殘字』(1冊)から成っています。その大部分は仏典です。より詳細な目録については、天津図書館の歴史文献部の『天津図書館蔵敦煌遺書目録』、『敦煌吐魯番研究』、第8巻 (中華書局, 2005年1月)を参照してください。
2.1.5 北京大学
北京大学図書館の敦煌コレクションは全部で286点の写本から成ります。その多くは1950年、向達が館長の時に購入されました。多くは仏典で、数は少ないですが道教文献や社会文書もあります。さらに、コータン語、ウイグル語、タングート語、古チベット語などの中国語以外の言語で書かれた文書もいくつか含まれています。
北京大学図書館の全ての敦煌写本が、北京大学図書館と上海古籍出版社の共同編集により、『北京大学図書館蔵敦煌文献』(2 巻)として、1995年に上海古籍出版社から出版されました。
2.1.6 上海図書館
上海図書館の敦煌、トルファン写本のコレクションは全部で187点あり、主に上海市文管会が寄贈したものか、或いは上海博物館から移管されたもの、または長年にわたって購入したものから成っています。チベットの写本には高い割合で日付が記載されているものがあり、多くの非仏教写本があります。写本の中の数点には著名な鑑定家による題銘があります。
上海図書館の敦煌写本コレクションは、上海図書館と上海古籍出版社の共同編集により、『上海図書館蔵敦煌吐魯番文獻』(第1巻-第4巻)として、1999年に上海古籍出版社から出版されました。
2.1.7 上海博物館
上海博物館は約80点の敦煌、トルファン写本を保有しており、その大部分は仏典です。これらは『上海博物館蔵敦煌吐魯番文獻』(第1巻-第2巻)に編纂され、上海古籍出版社と上海博物館が共同編集を行い、1993年に上海古籍出版社によって出版されました。
2.1.8 浙江省
浙江省の各機関には合計201点の敦煌写本が保管されています。このコレクションには、仏典を除いて、道教文献、経済文書、礼拝テキスト、詩、小説、式典に関する書物、そして肖像画などが含まれており、バラエティーに富んでいます。多くの写本は著名な学者や収集家の銘、自筆文字、刻印などを有し、非常に貴重な資料となっています。写本はかなり完全なものであり、補修によって良い状態が保たれています。
以下のリストに浙江省の機関とその収蔵品をあげています。:
- 浙江省博物館、176点の写本
- 浙江図書館、20点の写本
- 杭州市文物保護管理、 4 点の写本
- 靈隱寺(杭州), 1 点の写本
浙江省のコレクションは、毛昭晰(主編)『浙蔵敦煌文献』(浙江教育出版社, 2008)にて閲覧することができます。
2.1.9 南京図書館
南京図書館は32点の敦煌写本を保有しています。目録は方広錩と徐憶農により「南京図書館所蔵敦煌遺書目録」、『敦煌研究』 4(1998)に編集されました。
2.1.10 湖北省博物館
湖北省博物館は31点の写本を保有しています。収集家の印から判断すると、大部分の写本は徐蘭如が所有していたもので、他には康有為と羅振玉所有のコレクションからの物も数点あります。多くは仏教関係の書物です。目録は王倚平と唐剛卯による、「湖北省博物館藏敦煌經卷概述」、『敦煌吐魯番研究』 5 (2005)を参照して下さい。
2.1.11 中国国家博物館 (旧歴史博物館)
これまで中国国家博物館が所蔵する敦煌写本の完全な目録は出版されていませんので、コレクションに関する正確な情報は明らかになっていません。書として価値のある敦煌写本は史樹青によって1994年、1999年に編纂され、『中国歴史博物館藏法書大觀』(第11、12巻)(柳原書店)として出版されています。
2.1.12 重慶市博物館
重慶市博物館は13点の敦煌写本を保有しています。この博物館では1950年代から1960年代にかけて収集が始められました。楊銘によって「重慶市博物館蔵敦煌吐魯番写経目録」が作成され、『敦煌研究』1、1996年 に出版されました。
2.1.13. 天津市文物公司
この機関は数年間にわたって一般から30点の敦煌写本を収集しています。写本は内容が豊富で、様々な時代の物があります。完全なコレクションは天津市文物公司から『敦煌写経』、文物出版社(1998)として出版されています。
2.1.14 旅順博物館
1914年、大谷光瑞氏は西本願寺の門主としての地位の退位を強いられ、経済的な問題によって光瑞氏が収集した中央アジアコレクションは日本、中国、そして韓国に公共又は個人のコレクションとして散逸しました。 (日本コレクションを参照) 中国の大谷コレクションはもともと旅順博物館に保管されていましたが、1954年に620点の敦煌写本が北京図書館(現在の中国国家図書館)へと移管されました。トルファン(トユク、ヤールホト、カラホージャ)とカラホトからもたらされた20,000点を越える写本の断片と9点の写本だけが旅順博物館に残っています。尚林、方広錩、栄新江によって編纂された『中國所藏“大谷收集品”概况』、龍谷大学 仏教文化研究所、1991年3月を参照して下さい。
2.1.15 その他のコレクション
上記の機関のコレクションに加えて、写本が広東省立中山図書館と中国仏教協会にも保管されています。香港(香港中文大学博物館がRoyal Society for Asian Affairs所蔵の写本一点を展示しています)と台湾の国家図書館、中央研究院、歴史博物館にもまた写本のコレクションがあります。台北のコレクションの詳細は、IDP ニュース 12を参照して下さい。
2.2 中央アジアの遺物
現在、中央アジアの主要なコレクションを保有する中国全土の機関のリストを作成しています。この中には主要な博物館、考古学関連の機関、特に陝西、甘粛、ウイグル自治区にある施設が含まれます。これらの簡単なリストを以下に挙げます。
中国国家博物館(北京)には、過去2、30年間にわたって発掘された遺物の数々が保管されています。
陝西省歴史博物館(西安)には、中央アジアから出土した遺物を展示するいくつかの室があり、国宝指定された物も多数展示されています。これ以外にもこのコレクションは厖大な資料からなっています。また、この博物館は唐王朝の時代の墓から出土した壁画も保管しています。
陝西省考古研究所(西安)には、過去十数年にわたって発掘されたコレクションが保管されています。さらに、ここには西安地域から出土した仏教徒の墓や法門寺の遺跡から出土した仏塔など多数の資料が保管されています。近年発掘された資料を展示する小さな部屋もあります。
敦煌市博物館は、この地域で発掘された遺物や写本のコレクションを保有しており、その何点かが展示されています。
莫高窟にある敦煌研究院博物館は、発掘された遺物や写本を保管するだけでなく、いくつかの窟の3次元復元も行っています。
トルファン博物館は、高昌国やその他の地方の遺跡から出土した多くの遺物を保管しています。アスターナ古墳群から出土したミイラ、葬儀用品、そして絹があります。
ウルムチにある新疆博物館には、広範囲の中央アジアコレクションがあります。紀元前2世紀から紀元2世紀頃のシルク、錦織物、刺繍、羊毛の敷物の断片、木製用具、そして陶器など、これらすべてが楼蘭やニヤから発掘されました。また、カローシュティー文字やブラーフミー文字で書かれた木片の仏典、ホータンやトルファンのシルクの織物もあります。アスターナ古墳群からは7世紀から10世紀の錦の靴、シルク、麻布製の文書、そして、穀物類、木の実、ドライフルーツ、ナン、陶器製の墓守もあります。この博物館には砂漠の墓から出土した10体を越えるミイラが保存されており、中でも最も有名な「楼蘭の美女」と呼ばれるミイラもあります。新しい博物館は現在建設中ですが、何点かの資料が古い建物の別館に残され、展示されています。
カシュガルにあるシルクロード博物館には、中央アジアコレクションとして商代の銅、周代の木製の墓俑が保管されています。
上海博物館には、Roger and Linda Doo夫妻によって寄贈された、シルクロードから出土した中央アジアのコインを展示するための特別展示室があります。
3. IDPのコレクション
2001年に中国国家図書館と大英図書館は、敦煌資料をデジタル化し、IDPサイトで自由に閲覧可能にするための協力を開始しました。IDPの中国語サイトが2002年の11月にオープンしました。デジタル化された敦煌資料の数千点の画像が、現在オンラインで閲覧可能であり、日々更新されています。目録情報もオンラインに入力されており、NLCのその他の中央アジアの写本や中国にあるその他のコレクションのデジタル化の開始が望まれています。
IDPは敦煌研究院所有の写本を共同でデジタル化することについて、敦煌研究院と協議しています。
