ドイツ コレクション
ドイツのトルファン探検
19世紀末に行われたヨーロッパの探検家や研究者らによるシルクロード遺跡の発見や発掘品に関する報告が、ドイツ人に未知の文化に対する関心を抱かせました。1899年、ローマで開催された第12回東洋学国際会議でのセンセーショナルな古文書発見の発表を受けて、直ちに東トルキスタンへの探検が決定されました。
しかしながら、民俗学博物館(the Museum für Völkerkunde)のインド部長であったアルベルト・グリュンウェーデル(Albert Grünwedel)によって計画されたこの探検は、必要資金を提供するスポンサーを探すことに時間がかかり、1902年9月まで出発を待たなければなりませんでした。最終的に博物館の公的資金の4分の1、産業資本家のKruppとスポンサーのJames Simon、及び、‘ベルリン民俗学援助委員会’ (Ethnologisches Hilfskommitee Berlin)による寄付によって40,000マルクの資金を集め、1902年8月11日に探検は開始されました。この探検隊は指導者のアルベルト・グリュンウェーデル、東洋学者のゲオルグ・フス(Georg Huth)、博物館の技術者で元船員のテオドア・バルトス(Theodor Bartus)らによって構成されました。1902年12月初旬に目的地であるトルファンのオアシスに到着しました。トルファンという名前は4回にわたるドイツ探検全てと彼らの蒐集物を含むコレクションの名前に使用されています。調査と発掘は近隣地域でも行われました。グリュンウェーデルは発見した荒廃した遺跡の記録を残し、これらの遺物を発表することを第一の目的としました。中国当局からの許可証と地元のウイグル統治者の協力の下で実施された最初の探検の調査と結果が、1905年に出版された彼の著書Bericht über archäologische Arbeiten in Idikutschari und Umgebung im Winter 1902-1903に記載されています。
初回の探検での驚くべき結果と発見がなされたために、H. PischelとH. Lüdersによって新たに設立された中央アジア研究を行うドイツセクションによって、探検継続の承認を受けることが出来ました。また、続く3回の探検は国家から資金を受け、第2回探検も「第1回王立プロイセン トルファン探検」と名付けられました。アルベルト・フォン・ル・コック(Albert von Le Coq)(博物館の科学分野の協力者)に第2回目の探検が任せられ、バルトスと共に、1904年11月から1905年12月までトルファンのオアシスで調査を行いました。
第3回探検は、1905年12月にグリュンウェーデルがカシュガルに到着するとすぐに、彼の指揮の下で再開されました。第2回探検と第3回探検は合併して、1907年6月まで継続されました。1906年の半ばに、病気に悩まされていたル・コックは帰国の途につかざるを得ませんでした。グリュンウェーデルとバルトスは調査を続け、この調査は大規模な仏教徒の洞窟群があるキジルを含むトルファンの西部のオアシスにまで達しました。第2回と第3回の探検報告書は、グリュンウェーデルのAltbuddhistische Kultstätten in Chinesisch-Turkistan (1912)とル・コックによるAuf Hellas Spuren in Ostturkistan (1926)があります。
最後の第4回探検は、1913年6月に始まって、第一次世界大戦勃発の直前の1914年2月に終了しました。この探検はル・コックの指揮の下、主として第3回の探検の時に始められたクチャのエリアで発掘調査を続けていました。ル・コックは1928年にこの探検の報告書Von Land und Leuten in Ostturkistanを出版しました。
ル・コックは発掘品の科学的評価を以下の本に記しました。:
- Chotscho (1913)
- Bilderatlas zur Kunst und Kulturgeschichte Mittelasiens (1925)
- Die Buddhistische Spätantike in Mittelasien Vols 1–5; vols 6–7 in cooperation with Ernst Waldschmidt (1922–1933)
- 参考文献を参照する。
ドイツのトルファン探検
第1回探検(1902年12月−1903年4月)
- リーダー: A. グリュンウェーデル教授、 隊員: G. フス博士 、 Th. バルトス。
- ルート: 伊寧(イーニン) – ウルムチ – トルファンのオアシス (カラホージャ, ベゼクリク, センギム, 吐峪溝(トユク) 1902年11月−1903年3月 [絵画, 塑像, Mir./Uig./Np. Man./Uig./Runesで書かれたマニ教の写本, Ind./Chin./Tang.で書かれた文書]) − シルクロードの北部 (トクスン−カラシャール−クチャ−クムトラ近くの廃墟 [絵画] − キジル−アクス−トムシュク−マラルバシ−カシュガル)
- 発掘品: 46箱分の発掘品
第2回探検(1904年11月−1905年12月)
- リーダー: A. v. ル・コック博士、 隊員: Th. バルトス。
- ルート: ウルムチ − トルファンのオアシス (カラホージャとその周辺地域, ヤールホト(1904年11月−1905年8月); ハミ(1905年8月); トルファン) − シルクロード北道 − カシュガル(1905年10月; 12月に第3回探検に合併)
- 発掘品: 103箱分の発掘品, その多くが絵画 (ベゼクリク), 少量の文書 (Syr., Sogd., Mp., Uig.で書かれたキリスト教の文書; 仏教文書)
第3回探検(1905年12月−1907年4月 − 1906年6月までは第2回探検と合同)
- リーダー: A. グリュンウェーデル教授、 隊員: A. v. ル・コック博士、H.ポールト、 Th. バルトス。
- ルート: カシュガル - トムシュク (1906年1月)−キジル−クチャ−クムトラ (1906年2月, 石窟寺院[絵画])− キジル石窟寺院, キリシュ (1906年2月-5月 [絵画]), −コルラ/ショルチュク石窟寺院 [絵画, 仏教文書] −トルファンのオアシス(1906年7月)−ウルミチ−ハミ−トユク (1907年1月)−ショルチュク (1907年2月/3月)−トルファン, ウルムチを経て帰路につく(1907年4月)
- 発掘品: 118箱分の発掘品
第4回探検(1913年6月−1914年2月)
- リーダー: A. v. ル・コック博士、 隊員: Th. バルトス。
- ルート: カシュガル−クチャ, キジル (1913年6月-9月)−Kirish, Simsim−クムトラ (1913年11月)−トムシュク (1913年12月−1914年1月)− カシュガル
- 発掘品: 156箱分の発掘品、各箱の重量は約75kg-80kg。(特に、トムシュク出土のサカ語文書とサンスクリット文書)
全4回に渡って行われたドイツのトルファン探検の蒐集物は当初、民俗学博物館のインド部門に保管されていましたが、1963年のインド美術館 (Museum für Indische Kunst)の設立に伴い、これらの蒐集品はベルリン-ダーレムのコレクションとしてインド美術館に移管され、現在はそこで保管、展示されています。
1914年に、教育省の命令が王立プロイセン科学アカデミー(the Königlich-Preußische Akademie der Wissenschaften)に下り、大量の文書は、彩色された断片の小さいグループを除いて、博物館に展示するために分割されてしまいました。東洋でのドイツ隊の発掘成果に対する科学的研究を支援する東洋委員会(Orientalische Kommission)が新しく発足する1912年5月5日の2年前に、その管理義務がこの委員会に移されていました。
東洋委員会は第二次世界大戦まで活動を行い、多数の古文書を東洋学で有名な様々な研究者に委ねました。これらの文書はベルリンに移送され、そして開封された後、古文書をガラスプレートの間に挟み、プレートのエッジを黒い特別なテープで留めるという方法で保存されました。この保存方法は多少の改良を重ねて、現在でも使われています。第二次世界大戦の間、トルファン出土の断片は格納庫に保管されました。例えば、以前は岩塩坑であった場所Wintershall、 Solvayhall、Schönbeck/Elbeなどです。戦争による古文書の正確な損失状況は、戦前の在庫状況や目録が欠如しているために不明です。
戦後、コレクションの大半が、1946年に新たに設立されたドイツ科学アカデミー(Deutsche Akademie der Wissenschaften)に移管され、小規模なコレクションはマインツ人文科学アカデミー(the Mainzer Akademie der Wissenschaften und Literatur)が所蔵しています。イラン語の断片はハンブルク大学の東洋学セミナーに寄贈され、サンスクリットの断片がゲッチンゲンで編集されました。1956年には、ハンブルグのイラン語の断片をマインツに移しました。マールブルクのプロイセン文化財団国立図書館(Staatsbibliothek Preußischer Kulturbesitz)が設立された後、いわゆるマインツ部分コレクションがマールブルクに移されました。そこから来た資料は国立図書館の他の収蔵物と共に、ベルリンのポツダム広場の新しい建物に収蔵されました。1992年以来、コレクション全体はベルリン-ブランデンブルク人文科学アカデミー [ Berlin-Brandenburgische Akademie der Wissenschaften](BBAW))(旧プロシア科学アカデミー)に集められ、収蔵されています。
第二次世界大戦後のコレクションの分散は、古文書の閲覧と調査を困難にしました。ベルリンのトルファンコレクションは、1947年にドイツ科学アカデミーによって設立された東洋学研究所(the Institut für Orientforschung)に移管され、1965年にWolfgang SteinitzとGeorg Hazaiがトルファン研究チーム(Turfanforschungsgruppe)を設立しました。1969年から1991年まで、ベルリンのトルファン文書に関する調査が、GDR科学アカデミー古代歴史と考古学中央研究所の古代東洋部門で行われました。
いくつかのオリジナル資料以外に、1948年から1961年の間にベルリンのサンスクリット断片の写真が他数ゲッチンゲンに送られました。これらゲッチンゲンのベルリン資料の大部分は目録化されています。プロジェクト初期の1957年に、ドイツ東洋学会とドイツ学術振興会による資金によって、「トルファン出土資料に含まれるサンスクリット写本」の記述と登録が開始され、'Katalogisierung der Orientalischen Handschriften in Deutschland' [ドイツの東洋写本総合目録] (KOHD)が作成されました。KOHDはゲッチンゲン科学アカデミー(Academy of Sciences in Göttingen)の1990年からの長期学術プロジェクトです。ゲッチンゲン科学アカデミーのさらに長期にわたるプロジェクトが中央アジアにおける仏教文献の調査であり、Sanskrit-Wörterbuch der buddhistischen Texte aus den Turfan-Funden und der kanonischen Literatur der Sarvastivada-Schule (Sanskrit dictionary of the Buddhist texts amongst the Turfan finds and of the canonical literature of the Sarvastivada school)」があります。
ベルリン ブランデンブルク人文科学アカデミー(BBAW)のプロジェクトトルファン研究(Turfanforschung) では、1992年からイラン語と古代トルコ語の断片の編集に力が注がれました。
これらの文書の目録が、Arbeitsstelle Berlin 2の共同制作者によって準備されています: ベルリンのBBAWのアカデミープロジェクトKOHDのトルファン研究
2002年9月、ベルリンでドイツのトルファン探検百周年を記念して「トルファン再訪、シルクロードの芸術と文化研究の1世紀」というタイトルの国際会議が開催されました。この国際会議はベルリンブランデンブルク人文科学アカデミーとインド美術館とベルリン国立図書館によって開催され、インド美術館では文書の展示も行われました。この会議の論文集が 2004年に、Ernst Waldschmidt 基金のシリーズ Monographien zur indischen Archäologie, Kunstgeschichte und PhilologieのVolume17として出版されました。
コレクション: 目的とアクセス
全4回のドイツのトルファン探検の成果は膨大なものでした。これらの探検はベルリンに、数千点の資料、壁画、その他の遺物、そして約4万点の古文書の断片をもたらしました。
1. ベルリン ブランデンブルク人文科学アカデミーのトルファンコレクション
シルクロードの北道にあるオアシスから発見された約40,000点の文書の断片資料(ベルリンコレクション)は、世界で最も貴重で重要な資料です。この文書に書かれている文字と言語の多様性(20以上の異なる文字と言語)が、このコレクションの価値を非常に高い物にしています。その中でも特に貴重な資料は、中央アジア出土のマニ教の原本、ソグド語のキリスト教文書、バクトリア語と‘エフタル’文字の断片、中世のペルシア語の詩編の断片、パフレヴィ文字の遺文、および古いトルコ語のルーン文字などです。
ベルリンのトルファンコレクションの写本や木版印刷の管理と保存修復は、ベルリン国立図書館の東洋部 -プロイセン文化遺産に、1992年の供託契約によって委託されました。ベルリンのトルファンコレクションの古文書は、ベルリンの2カ所で保存されています。ベルリンブランデンブルク人文科学アカデミーのトルファンアーカイブの中世イラン語と古代トルコ語のトルファン文書の調査と目録化が行われています。その他の言語の断片はベルリン州立図書館の東洋部-プロイセン文化遺産で保管されています。
1.1 BBAWのトルファンアーカイブのトルファン断片
BBAWのトルファンアーカイブは全体でおよそ12,000点の中世のイラン語と古代トルコ語のトルファン断片からなります。約6,000点のウイグル語の断片(記号’U’を持つ)、1,600点の中国語/ウイグル語の断片(記号’Ch/U’)、先に述べたマインツ部分コレクションに含まれる800点の中世のイラン語と古代トルコ語の断片(記号’Mainz’)、その他様々な言語(中世のペルシア語とパルティア人の用いたペルシア語や古代トルコ語とソグド語)で書かれた 3,500点のマニ教の断片(記号’M’)、約1,000点のソグド語や中国語/ソグド語の断片(記号’So’と’Ch/So’)、ネストリウス文字(記号 ‘n’)の300点のソグド語の断片、トムシュク・サカ語(記号‘TS’)、ホータン・サカ語(記号‘KS’)やバクトリア語(記号‘h’)の断片の小規模なコレクションからなります。
オリジナルの資料を保護し、科学的に重要な資料である古代トルコ語、イラン語やモンゴル語のコレクションへの閲覧を容易にするために、ドイツ学術振興協会 (DFG)による基金により、アカデミーのプロジェクト トルファン研究(Turfanforschung)(BBAW)とドイツの東洋写本の総合目録(ゲッチンゲンアカデミー)の指導の下で、1997年10月から2005年6月の間に、3段階のプロジェクトとしてデジタル化されアーカイブされました。必要な写真撮影と修復作業は、ベルリン国立図書館-プロイセン文化遺産によって行われました。 現在、断片はアカデミーのプロジェクト トルファン研究(Turfanforschung)のウェブサイトで自由に閲覧できます。
BBAWのトルファンアーカイブの断片を使用するための登録やデジタル画像の注文は、ベルリン国立図書館(Staatsbibliothek zu Berlin)の東洋部(Orientabteilung)によって処理されます。
連絡先:
Berlin-BrandenburgischeAkademie der Wissenschaften
Akademienvorhaben Turfanforschung
Jägerstraße 22–23
D — 10117 Berlin
email: turfan@bbaw.de
website: Akademienvorhaben Turfanforschung
Katalogisierung der Orientalischen Handschriften in Deutschland
Arbeitsstelle Berlin 2: Turfanforschung
Jägerstraße 22–23
D — 10117 Berlin
email: turfan@bbaw.de
website: Katalogisierung der Orientalischen Handschriften in Deutschland
1.2 ベルリン州立図書館 東洋部のトルファン断片
ベルリン ブランデンブルク人文科学アカデミーのベルリントルファンコレクションの約6,000点の中国語の断片、100点のモンゴル語の断片、300点のシリア語の断片、200点のチベット語の断片、4,000点のトカラ語の断片、および8,000点のサンスクリット断片がベルリン州立図書館の東洋部に保管されています。さらに、インド美術館のコレクションのトルファン文書がベルリン州立図書館の東洋部で常時貸し出されています。事前に予約をしていただくこと(手紙、電話またはメールによる)により、これらの写本や木版印刷が学術的な使用に限り、東洋部の閲覧室にある特別なテーブルにて閲覧できます。これらの使用に際しては一定の条件の下で、利用者が同意書を確認しなければならず、また、有効な閲覧チケット(月か年のチケット)や身分証明書かパスポートも必要です。
2005年9月、ドイツ学術振興協会(DFG)は、BBAWとベルリン州立図書館による共同出願に同意し、ベルリントルファンコレクションのデジタル化の継続を支援することを決定しました。 2005年6月に調印された協力協定に基づいて、新しいデジタル化プロジェクトがIDPと共に進められるでしょう。18カ月間で、約6,000点の中国語の断片と200点のトルファン出土のチベット語断片がデジタル化され、既に利用可能なメタデータが付随し、初めて、IDPのデータベースと統合されました。この新しいデジタル化プロジェクトのための準備の一環として、ワークショップが2005年6月にBBAWで開かれました。このベルリントルファンコレクションの中国語とサンスクリット断片の目録化の現状とトカラ語とサンスクリットの断片のC14分析による年代測定の結果に関するワークショップの論文のいくつかがオンラインで閲覧できます。 http://www.bbaw.de/bbaw/Forschung/Forschungsprojekte/turfanforschung/de/Workshop2005
中国語のトルファン断片の同定と目録化が1960年代の初期から、京都の龍谷大学の研究者と共同で開始され、現在もドイツの東洋写本総合目録(KOHD)の枠組みで継続されています。KOHDプロジェクトはベルリン州立図書館の東洋部によって遂行されています。
トカラ語のトルファン断片は、Tamai財団の資金援助で1995年からデジタル化され、完了ました。その画像とメタデータが、フランクフルト・アム・マイン大学のTITUSプロジェクトにより、インターネット上で自由に閲覧することができます。
ベルリン州立図書館では、ベルリン トルファンコレクションの約40,000点の断片が管理され、トルファン出土の断片の修復作業も必要に応じて行われています。
連絡先:
Staatsbibliothek zu BerlinOrientabteilung III E
Potsdamer Straße 33
D-10785 Berlin
Sekretariat: Tel. +49 - (0) 30 - 266 - 24 89
Fax: +49 - (0) 30 - 264 - 59 55
email: orientabt@sbb.spk-berlin.de
website: Staatsbibliothek zu Berlin
2. インド美術館のトルファンコレクション
インド美術館(Museum für Indische Kunst)のトルファンコレクションは何百もの壁画と多数の紙に描かれた絵画と織物、刺繍、粘土、ゲッソ、石、木、または金属といった様々な材料による彫刻や2世紀から12世紀までの写本から成っています。博物館の常設展示の一つに、クチャ近くのキジルの「リングを運ぶ鳩の洞窟」(Cave 123)の実物大の復元があります。
博物館のコレクションの展示物は、事前に予約することによって閲覧できます。インド美術館の成果に関する最新の概要が、2000年に出版されたMagische Götterweltenと2003年に出版されたカタログCentral Asian Banners in the Turfan Collection of the Museum für Indische Kunstに述べられています。
トルファンコレクションの文書断片が常設展示されています。さらに、写本と木版印刷が博物館の研究コレクションとしてあり、予約がある場合、学術目的に限り閲覧できます。
インド美術館のアーカイブには、4回に渡るドイツのトルファン探検の残存している書類、書簡、遺跡の配置図、および写真が保管されています。
連絡先:
Museum für Asiatische KunstTakustraße 40
D - 14195 Berlin-Dahlem
Tel.: +49 — (0)30 - 8301 361
Fax: +49 — (0)30 - 8301 502
email: mik@smb.spk-berlin.de
website: Museum für Asiatische Kunst
来館:
Museum für Asiatische KunstLansstraße 8
Berlin-Dahlem
IDPのコレクション
ドイツ学術振興協会(DFG)からの助成金を受けて、2005年11月から開始されたデジタル化プロジェクトでは、ベルリン トルファンコレクションに含まれている中国やチベットの文書断片が、協力協定に基づいてIDPデータベースに入力されるでしょう。以下の表は、このプロジェクトでの進捗状況を示しています。ベルリンのトルファンコレクションの中世のイラン語、トルコ語、モンゴル語の文書断片のデジタル画像が、アカデミーのプロジェクトであるBBAWのトルファン研究(Turfanforschung)のデジタル トルファンアーカイブ(the Digitales Turfanarchiv)で閲覧できますが、IDPとの共同プロジェクトにはこれらの画像は含まれていません。TITUSのプロジェクトでデジタル化されたトカラ語断片も同様です。IDPは、将来的に助成を受けて、これらすべての断片をIDPに統合することを希望しています。
