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日本コレクション

ページ作成: 2005年12月1日 最終更新: 2008年8月18日
大谷光瑞 (ロンドン、1901)

中国の中央アジアの大谷探検隊

大谷探検隊とは西本願寺第22代門主、大谷光瑞伯爵(1876-1948)が1902年8月16日から1914年7月10日にかけて3回に渡って西域(中央アジア)の仏教遺跡の調査、古写経の収集、発掘などを実施した探検隊のことをいいます。

光瑞師はロンドン留学中にヨーロッパ各地を遊歴し、スウェーデンの探検家ヘディンやイギリスのスタイン等とも会見しました。各国の相次ぐ中央アジア探検を目の当たりにし、多大な影響を受け、自らも探検隊を組織することを決意しました。

中国領中央アジアはかつて仏教東漸において決定的役割を担った地域であったので、光瑞師等は仏教徒自身の手でこの地域を探検、発掘し、なにより古い経典類を見つけだすことを目的としていました。

探検隊の何人かは日記を書いています。出土品に関する詳細な記述はありませんが、重要な記録が記載されています。また、日記には探検の写真や植物標本が一緒にあり、現在は龍谷大学図書館がこれらを保管しています。

第一次探検(1902年~1904年)

大谷探検隊の隊員達

第一回目の西域探検は光瑞師がロンドンから帰国する際に行われました。1902年8月16日、光瑞師はロンドンを出発し、中央アジア経由で帰国の途につきました。一行5名は8月21日にロシアのサンクトペテルブルクに集合し、そして、バク、サマルカンド、アンディジャン、オッシュ、テレク峠を通過して、9月21日、カシュガルに到着しました。ここで、英国事務官であるマイルス中佐と今後の旅について協議がなされ、インド隊(大谷、井上、本多)と西域隊(渡辺、堀)の二隊に分かれて行動することが決定されました。

一行は9月27日にカシュガルを出発、南道を東行してヤルカンドに至り、ここから南下し10月12日にタシュクルガンに到着。9月14日、ここでインド隊と西域隊は南と北に分かれることとなりました。

光瑞師率いるインド隊は馬三頭と駱駝17頭でミンタカ峠を越え、ギルギットを経由し、11月9日にカシュミールの首都スルナガルに到着しました。

一方、西域隊はヤルカンドから西域南道を東行してホータンに行き、ここに約40日間滞在してこの付近の遺跡を発掘調査しました。そして1903年1月2日ホータンを出発し、タクラマカン砂漠を縦断して北上、西域北道のアクスとトルファンを経由し、2月20日再びカシュガルに到着しました。

マラルバシ、トムシュク、アクス、バルを経て4月10日、西域北道クチャのキジルに到着。クチャには約4ヶ月間滞在し、東ハサタム、西ハサタム、キジル千仏洞、クムトラ千仏洞、ドルドルアクル等の各遺跡を調査探検しました。西域南道のホータン地区はすでに英国のスタインによって発掘調査されており、西域北道のトルファン地区はドイツのグリュンウェーデル等によって探検されているので、まだ調査発掘が行われていないクチャ地区を重点的に発掘調査することにしました。

続いて、西域隊はトルファン、ウルムチ、ハミ、西安を経て探検を終了しました。

第二次探検隊(1908年~1909年)

大谷探検隊

彼らは北京から外モンゴル経由でウルムチに到着し、1908年11月15日にトルファンへ入りました。トルファンではヤールホト、ムルトウク、カラホージャ、トユクを発掘調査しました。彼らはキジルに移動し、クムトラの仏教洞窟や辺りを調査し、そこで古い漢語文書を発見しました。野村は1909年2月25日から5月6日までクチャ周辺の調査を行い、1909年3月29日、クチャにあるクムトラ千仏洞内の砂中から、782年の日付を持つ文書を発見しました(大暦16年3月20日、楊三娘挙銭契」)。一方、橘は楼蘭付近で4世紀前半に西域長史の李柏が書いた書簡の草稿である「李柏文書」を発見しました。さらに高昌古城の東方に在るトユク千仏洞で、相当量の古文書断片を発掘しました。

彼らの辿ったルートは次の通りです:

第三次探検隊(1910年~1914年)

1910年、橘は光瑞師と共にインドの仏跡を調査した後、ロンドンに向かいました。そして、8月16日橘に命令が下り、18歳の少年ホブスを助手に雇ってロンドンを出発、第3回の西域探検へ向かいました。10月19日にウルムチに着いた橘は半月滞在した後、トルファンへと向かいました。そしてホブスには荷物をもって先にクチャに向かわせ、一方の橘はロプノール砂漠を縦断して西域南道のチェルチェンに到着し、再び砂漠を北に縦断してクチャに向かいました。先にクチャに到着していたホブスは天然痘で亡くなってしまい、その遺体は既にカシュガルに送られていました。そこで橘はカシュガルに赴いて彼の遺体を埋葬しました。その後、橘は西域南道のホータンに向かい、1911年5月7日に到着し、周辺の調査を行いました。

一方、日本では、吉川に西域探検の命令が下りました。この時、神戸六甲二楽荘の料理人であった中国人の李毓慶が吉川に同行することになりました。10月5日吉川等は敦煌に到着し、橘の到着を待つことになりました。しかし橘は予定通り敦煌には現れず、橘の到着を待っている間に敦煌千仏洞の調査を行い、洞内の壁画や仏像の撮影、拓本の作成、また古写経の入手などに努めていました。吉川と橘は再開後、1月30日から2月1日まで莫高窟千仏洞に滞在し、この時に唐経369巻を400両で購入しました。これらの敦煌経は、吉川が単独で購入した分も含めて、全て橘が先に日本に持ち帰りました。その前に2人はトルファンのトユクで仏典断片を発掘し、アスターナ・カラホージャ古墳群の発掘調査ではミイラ、墓標、埋納文書、(告身、随葬衣物疏)、二次利用廃紙(官庁文書等)、染織品などを入手しました。橘が帰国の途についた後、吉川は植物採集を中心とした天山山脈の探検を行い、1914年1月5日、探検を終えた吉川はウルムチを出発して帰国の途につきました。

コレクション:内容とアクセス

大谷探検隊の収集品には、古文書類、木簡、壁画、彫塑像、幡絵、染織品、古銭、印章、ミイラ9体と考古学的遺物があります。当時、京都の西本願寺に集められた収集品は、神戸の六甲山麓にあった光瑞師の別邸、二楽荘に運ばれた後に整理されました。これらの収集品の分類・整理、分散に関しては、藤枝晃(1989)、百済康義(1996)、片山章雄(1999)を参照してください。(参考文献 を参照して下さい。)以下に重要な収集品を列挙します。

a) 漢文仏典古写本

大谷探検隊は、トルファンの仏教寺院跡から多くの仏遺経典類を収集しています。代表的な物を以下に挙げます。

b) 胡語文献資料

中央アジアの遺跡からは漢語以外の言語による文書が多く発見され、そのうちブラーフミー文字で書かれた梵語仏典、さらにゾグド語やチベット語、西夏語、ウイグル語などの胡語仏典やマニ教典籍などが将来されました。例えば、浄土経典ではウイグル語訳された『観無量寿経』などが発見されました。

c) 美術・社会資料の採集

この点において、第三次探検隊が最も重要なものでした。彼らはアスターナ、高昌の古墓を発掘し、ミイラ9体を収集、その副葬品や葬送儀礼に用いた古文書の採集を行いました。

1914年、光瑞師が疑獄事件の責任をとって西本願寺門主を辞任したため、探検を継続することが困難となり、これを機に探検隊将来品は中国、韓国、日本に分散することになりました。辞任後の光瑞師は拠点を中国の上海と旅順に移しました。この際に、収集品の一部が二楽荘から旅順の大谷家別邸に移送されました。その後一部が再び日本に送り返されましたが、別邸にあった仏典や仏像などは、関東廰博物館(現旅順博物館)に収蔵されることとなり、後の1954年に古文書類のうち敦煌古写経など620点は北京図書館(現中国国家図書館)に移送され、また仏画・断片などは北京の中国歴史博物館に移管されました。一方、二楽荘にもまだかなりの収集品が残されていましたが、これらの残された収集品は二楽荘ごと久原房之助に売り渡されました。その後、久原は買い取った収集品を同郷の朝鮮総督、寺内正毅に送り、この収集品は朝鮮総督府博物館(現韓国国立中央博物館)に収蔵されることになりました。

この他に日本の探検隊が持ち帰った遺物、写本、植物標本やミイラの中には、徐々に日本や海外の個人や公的なコレクションに売られたものもあります。従って、日本のコレクションは、他国の有名なコレクションと異なり、公共機関や個人の所有者の両方に広く分散しています。また、それらの資料の出所経緯が常に明確であるというわけでもありません。大抵はいく人かの所有者を経て、所有者が印や注釈を付けたり、異なる形式の表装がされたりしています。

大谷コレクションの主な所蔵地

日本の中央アジアコレクション

1. 龍谷大学

1.1 龍谷大学の大谷コレクション

龍谷大学 大宮キャンパス

大谷探検隊の将来品は、以上に述べた通り国内外に分散して収蔵される結果となりましたが、そのうちの一部が京都の龍谷大学学術情報センター大宮図書館に所蔵されています。

大谷光瑞師が73才で逝去されてから一年後の1949年、二楽荘から木箱2箱に及ぶ数々の収集品が見つかり、龍谷大学に寄贈されました。大学が譲り受けたこの木箱には貴重な古文書類(巻子本、冊子本、貝葉、木簡)のほか、印本、帛画、染織品、植物標本、古銭、拓本、考古資料など、9000点を超す龍谷大学の大谷コレクション資料が収められていました。敦煌とシルクロードコレクションは以下の4つから成ります:

1.1.1 漢字資料

大谷探検隊の目的の一つは仏典収集にあり、古写経資料の多くはクチャ・トルファンの仏教遺跡や敦煌石窟などを中心に採集されました。

(a) 古写経資料

敦煌文書は、橘、吉川両隊員が1912年に敦煌を訪れた際に入手したものです。敦煌ではすでに大量の古文書がスタイン(1907)とペリオ(1908)によって買い取られた後でしたが、橘が収集した数百点の資料の中には『妙法蓮華経』如来神力品(5世紀)や『無量寿経』巻上(6世紀)などの貴重な古写経類が含まれていました。

(b) 世俗文書資料

世俗文書の主な内容は、トルファンの土地制度関係文書(給田・欠田・退田文書断片)、経済関係文書類などです(小田義久編1984,1990)。

代表的なものには先にも述べた「李柏文書」や、第3次探検隊の吉川が1912年に敦煌で入手した中国の本草学の祖と言われる『本草集註序録』巻一の部分にあたる巻子型の写本(718年)があげられます。大谷探検隊がトルファンの古墳群で収集した文書断片は、もともとは埋葬用に使われた紙屑、役所で不要になった行政文書の廃紙等です。

1.1.2 非漢語資料

非漢語資料は、その内容から宗教文書(マニ教経典、ネストリウス派キリスト教「景教」の聖書等)と社会経済的な内容(契約書、出納文書、書簡)の世俗文書の2通りに大別することができます。龍谷大学所蔵の収集品では、13種の文字と15の言語(インド・ヨーロッパ語族(サンスクリット、トカラ、ソグド、ホータン語)、古代チュルク語(突厥、ウイグル語)、西夏語、モンゴル語、チベット語などの諸言語、ブラーフミー文字、カローシュティー文字、ソグド文字、マニ教文字、ウイグル文字など)が使われています。

代表的な物として、カローシュティー文字木簡(トルファン出土、5世紀頃)、挿絵入りウイグル文『スダーナ本生話』残閥(トルファン出土、13~14世紀)、ホータン語(ブラーフミー文字)仏典『ザンバスタの書』(ホータン出土、8~9世紀)などがあります。(百済康義1996)。

1.1.3 葬送儀礼関連資料

トルファンのアスターナ・カラホージャ古墳群から墓室の天井や内壁を飾る帛画が多数出土しています。帛画には「伏羲女媧図」が描かれており、同種の帛画4点は、第3次探検隊の吉川が1912年に採集したものです。

1.1.4 美術工芸品・考古学資料・植物標本・染織資料

美術工芸品としては塑像頭部、甎仏、帛画、印画などが収蔵されています。

1.1.5 その他

西本願寺

以上、西本願寺から移された資料に加えて、調査隊員であった橘瑞超、吉川小一郎、野村栄三郎とその遺族などから寄贈された探検隊の装備、調査日記、記録(スケッチ、水彩画、地図)、書簡、写真なども保存され、当時の探検の状況を示す貴重な資料となっています。

また、中央アジア探検と平行して青木文教と多田等観がインド・チベットの調査を行いましたが、その時に収集した民俗資料などは龍谷大学と国立民族博物館に収蔵されています。

1.2 コレクションへのアクセス

600-8268
京都市下京区七条通大宮東入大工町125-1
龍谷大学大宮図書館 Japan 600–8268

龍谷大学図書館ウェブサイト

閲覧するためには、事前にアポイントメントを取る必要があります。

2. 東京国立博物館

"東京国立博物館は元々寛永寺本坊跡地にあった上野公園の4つの建物から成っています。最も古い建物は、1909年に完成し、考古学的な物を展示しています。中央の建物は1937年に完成し、日本美術を収蔵しています。宝物館は1964年に建てられ、奈良法隆寺の7世紀の美術品319点のコレクションを収蔵しています。4つ目の建物は1968年に完成し、シルクロード以外のアジアの美術品や中国の書道の展示を行っており、さらに小さな中央アジアの展示も行っています。 この博物館は88,000点のコレクションを保有しており、日本の国立博物館の一つです。(他の国立博物館は京都と奈良にあります。) "

大谷探検隊の将来品は一括して、1964年に日本文化保存協会によって購入され、1967年に東京国立博物館に移されました。コレクションは、新疆の様々な遺跡から出土した遺物、トルファン、敦煌や他の遺跡からの中国語やウイグル語の写本や木簡、そして敦煌やトルファン出土の絵画などを含みます。また、博物館はギメ博物館との交換条約の文物を2,3保有しています。そして中央アジア出土の他の2,3の文物は別の所から入手しました。

二楽荘にあった収集品の一部は、長い間京都市恩賜博物館(現京都国立博物館)に寄託されていましたが、第二次世界大戦の末期に木村貞造に譲渡されました。その後、戦後に国がそれらを買い上げ、現在は東京国立博物館の東洋館に所蔵されています。ここには、有翼天使像、キジル出土の仏説法図、ベゼクリク出土の持傘蓋菩薩立像などの絵画、菩薩頭部など、数々の資料があります。

コレクションへのアクセス

110-8712
東京都台東区上野公園13-9

東京国立博物館ウェブサイト

遺物のコレクションの一部は中央アジアギャラリーに常設展示されています。写本や絵画は常設展示されていませんが、もし事前に管理者に予約をとっていただければ、閲覧は可能です。

3. 京都国立博物館

この博物館は1897年に京都の帝国博物館として設立されました。それを1900年に'京都帝室博物館'と改称して、1924年に'恩賜京都博物館'として京都市に下賜しました。1952年に、現在の名前で知られる国立博物館となりました。

主な展示場は片山東熊によって設計され、1895年に建設されました。新陳列館は1966年に完成しました。新しいホールには日本や東アジア出土の耐久性のあるコレクションを保存しており、特別展が開催されている期間は、古いホールに保管されています。書道や仏画についても常設展示があります。この博物館には寺院や他の場所に保管してあるものなどの6000点の他に、約4000点の収集品を保有しています。

京都国立博物館は敦煌やトルファン文書の松本、守屋コレクションを保有しています。松本コレクションは、クチャ地域からもたらされたと言われている4巻の巻物に載せられた5点の資料からなり、守屋コレクションは、敦煌から出土したといわれている72点の写本から成っています。

このコレクションは4巻の巻物に載せられた5点の資料であり、法華経、Mahaprajnaparamita Upadesa、大智度論、大品経、優婆塞の漢訳です。

コレクションへのアクセス

605-0931
京都市東山区茶屋町527

京都国立博物館のウェブサイト

写本は展示されていませんが、事前予約をしていただければ閲覧が可能でしょう。

4. 五島美術館

五島美術館は東京急行電鉄株式会社の元会長・五島慶太(1882-1959)氏によって設立されました。彼の近代日本、中国、そして韓国の芸術に関する個人的な収集品が1960年に公開されました。博物館は春と秋には特別展示を開き、残りの期間は常設展示を行います。また、博物館には茶室と庭園もあります。

五島美術館には、敦煌や他のシルクロードの遺跡から発見された写本がおよそ20点保存されています。

コレクションへのアクセス

158-8510
東京都世田谷区上野毛3-9-25 

五島美術館のウェブサイト

休館日:毎月曜日、祝日の翌日、展示替えのとき年末年始など

開館時間:午前10時〜午後5時(入館受付は午後4時30分まで)

写本は展示されておりませんので、閲覧するためにはあらかじめ許可が必要です。

5. 奈良の法隆寺

一般に閲覧できないわずかな写本のコレクションがあります。

6. 福岡の九州大学

福岡の九州大学にはわずかな写本のコレクションがあります。
九州大学のウェブサイト

7. 三井文庫

三井文庫は1916年に設立されましたが、第二次世界大戦の間は閉館しており、1965年に再び開館しました。1985年に、三井家から敦煌写本を含む資料が寄贈されました。

三井文庫は112点のコレクションを保有し、その多くは敦煌文書であり、以前は張廣建(中国甘粛省の職員)のコレクションであったものを含んでいます。

コレクションへのアクセス

164-0002
東京都中野区上高田 5-16-1

三井文庫ウェブサイト

展示されていない他の写本を見るためには、事前に閲覧申請してください。

8. 東京の中村書道博物館

もともとは中村氏の個人的なコレクションでした。中国の書、特に敦煌やトルファンからの用例を数十年間収集した後、中村氏は1936年に彼の自宅を博物館に改装しました。収集品は1995年、遺族により区の博物館に寄贈されました。

コレクションへのアクセス

110-0003
東京都台東区根岸2丁目10番4号

中村書道博物館ウェブサイト

"開館時間:午前9時30分〜午後4時30分(入館は4時まで)。 休館日:月曜日(祝日と重なる場合は翌日)  12月29日〜1月3日、特別整理期間等"

国立国会図書館

国立国会図書館には、もともと大部分が井上書店から得た物や、浜田コレクションにあったものである敦煌や他のシルクロードの地域から出土した48点の写本のコレクションを所蔵しています。このうち、43点が中国語、2点はタングート、残りの3点はチベット語です。写本の大部分はマイクロフィルムで利用が可能です。

コレクションへのアクセス

100-8924
千代田区永田町1-10-1
国立国会図書館 貴重書部門

国立国会図書館ウェブサイト

国立国会図書館はすべての学者が利用できます。これらの写本はマイクロフィルムによる閲覧はできますが、オリジナルの資料を閲覧するには特別な許可が必要で、閲覧は保存状態にも依ります。

10. 寧楽美術館

630-8208
奈良市水門町74

寧楽美術館には、一冊の大きなアルバムの中に、2,3の敦煌とトルファン出土の断片があります。

11. 大谷大学

大谷大学は日本仏教の浄土真宗大谷派の総本山である東本願寺によって、1665年に設立されました。それを1901年に現代の大学として東京で再編成し、1911年に京都へ移転しました。大学院は1953年から1955年にかけて設立されました。真宗総合研究所は1981年に設立されました。大学には4,800名の学生が在籍し、また、図書館には60万冊以上の蔵書があります。

大谷大学図書館には、敦煌出土の写本が38点、東本願寺の前門主のコレクションが34点、大谷大学前学長のコレクションが3点、そして教授のコレクションが1点あります。

コレクションへのアクセス

603-8143
京都市北区小山上総町
図書館

写本は展示されていませんが、前もって連絡を下されば閲覧することが可能です。

12. 静嘉堂文庫

"静嘉堂は1892年に、明治維新に続く西洋化に応じて、日本や東洋の国々の相違する文化価値を維持することを目的として設立されました。したがって、中国や日本の遺物や古い書物などを購入することを目的としていました。  1907年、静嘉堂は宋や元の印刷された本や蔵書家清のコレクションを全て購入し、コレクションの基盤を形成しました。静嘉堂文庫は1940年に法的機関として組織されましたが、1948年に一時的に国立図書館の一部門となりました。"

静嘉堂文庫には、トルファンや他のシルクロードの地域から発見された文書や写本の断片8巻のコレクションがあります。これらは1935年に日本で中国の書籍業者から購入しました。8巻のうち7巻については、以前梁玉書(新疆の役人)が所有していたようです。

コレクションへのアクセス

157-0076
東京都世田谷区岡本2-23-1

静嘉堂文庫ウェブサイト

大学生レベルの研究者は紹介状があれば利用可能です。アポイントメントは事前に必ず取って下さい。

13. 天理図書館

天理図書館は1925年に設計され、建物は1930年に完成しました。この新しい中央図書館は天理教の様々な書籍を収蔵し、元々は海外の宣教師の教育のための施設として機能していました。また、現在は教員の研究資料を収蔵し、一般読者のために公共の図書館としても開館しています。

図書館には現在178万冊の本、写本、文書を保有しており、3分の1は西洋の言語、残りは日本語と中国語です。貴重書コレクションは1万7000点からなっています。

天理図書館には約20点のシルクロード出土の巻物、張大千(1950年代、莫高窟に数年間滞在)の大量のコレクションを含む文物、さらに19世紀初頭、敦煌ので発見されたストゥーパの追記によって特定された写本を保有しています。写本は様々な所から取得され、チベット語、西夏文字、ウイグル語の断片を含んでいます。さらに図書館は大谷探検隊将来の敦煌やトルファンの絵画も保有しています。

コレクションへのアクセス

632-8577
奈良県天理市杣之内町1050

天理図書館ウェブサイト

天理図書館は公共の図書館であり、15歳以上なら誰にでも利用可能です。しかしながら、敦煌写本コレクションは公開していないので、利用する際には事前に司書宛てに利用要望書を提出してください。

14. 唐招提寺

奈良の唐招提寺

唐招提寺は起源759年、中国人僧侶鑑真によって設立され、以来1200年以上もの間、日本の律宗の総本山となっています。鑑真は長安と洛陽で律に関する研究を行ってきた僧侶です。

唐招提寺には、敦煌や他のシルクロードから出土した約27の写本のコレクションがあります。唐招提寺は1980年に中国仏教協会に3点の写本を寄贈しています。

コレクションへのアクセス

630-8032
奈良市五条町13-46

15. 東京大学 東洋文化研究所

東洋文化研究所には、11点の敦煌や他のシルクロードの遺跡から出土した写本のコレクションがあります。

コレクションへのアクセス

113-0033
東京都文京区本郷 7-3-1
(東京大学 本郷キャンパス内)

東京大学 東洋文化研究所ウェブサイト

写本は展示されていませんが、前もって連絡を下されば閲覧することが可能です。

Yurinkan, Kyoto, Japan.

16. 有隣館

"有隣館は1926年に藤井善助(1860-1934)によって施設の博物館として設立されました。彼は中国の遺物や商王朝から清王朝までの装束のコレクションを行いましたが、彼のコレクションの中で最も有名なのは印です。有隣館には、シルクロードや他の遺跡から出土した100以上の写本のコレクションがあります。60点の断片はもともとの彼のコレクションであり、他から得た敦煌写本もあります。  さらに、有隣館には中国語以外の言語による27点の文書があり、そのうち23点はウイグル語、チベット語、モンゴル語、そしてサンスクリットです。 "

コレクションへのアクセス

606-8344
京都市左京区岡崎円勝寺町44

博物館は毎月第一・第三日曜日、正午から午後3時まで開館しています。5点の断片がガラスケースに、さらに6点の写本が展示されており、そして小さな冊子もあります。展示されていない写本を閲覧したい場合は、閲覧希望書を書いて提出する必要があります。

17. その他のコレクション

上記以外にも、東京の大東急記念文庫に14点の写本、東京大学に11点、大谷大学に4点、この他にも大谷コレクション由来の34点が確認されています。

この他に個人所蔵の写本コレクションも存在します。例えば、清野謙次氏(戦前の京都の有名なコレクター)の40点の敦煌写本コレクション(現在、遺族の方が所蔵)があります。日本の最大のコレクションがまだ見つかっていない。京都大学の羽田記念館には、大阪のある会社が所有する、故羽田教授によって撮影された700点の敦煌写本の写真があります。

コレクション: IDP

2005年に、IDPは龍谷大学との共同研究に同意し、日本語のウェブサイトとデジタル化センターを設立しました。このウェブサイトは2006年初頭に公開され、画像、データの入力が開始されました。データ登録状況は以下の言語による分類表に示されています。

Number of Manuscripts by Language/Script on IDP in Japan as of 3/27/17

参考文献

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